最近、「ミドルエイジ・クライシス」という言葉を目にする機会が増えました。
中年期に差しかかる頃、理由のはっきりしない虚無感や、モヤモヤした違和感を覚える状態を指す言葉です。
10代の若者がアイデンティティの危機を迎えるように、40代も、自分が何者なのか見失いやすい年頃と言え、「第二の思春期」「思秋期」とも呼ばれます。
仕事も家庭も、それなりにうまく回っている。
社会的な評価も、ある程度は得た。
それでも、「このままでいいのだろうか」と感じてしまう。
私自身もミドルエイジになり、この感覚について考えていたとき、中田敦彦さんの動画を見ました。
そこでは、多くの中年が言葉にできずにいる感覚を、よく整理していると感じました。
本稿では、その気付きから出発して、ミドルエイジ・クライシス(MC)とは何なのか。
そして、なぜこの時期に、あのような感覚が現れやすいのかを整理してみたいと思います。
40代で訪れる、言葉にしにくい違和感
それなりに目標を成し遂げ、ある程度は社会的な地位も手に入れた。
それなのに、その先に、ぽっかりとした空白のような時間が現れる。
「この先、何を目指して、生きていけばいいのか分からない」
この感覚は、失敗したから生まれる絶望ではありません。
むしろ、「ある程度やり切った」からこそ訪れる違和感だと言えます。
ミドルエイジ・クライシスの正体
中田さんは、ミドルエイジ・クライシスを「人生の通知表が一度出てしまった感覚」とまとめています。
家庭や仕事、社会的な役割など、世間で「目標」と呼ばれるものについて、「だいたい、このくらい」という結果が見えてくる。
すると、その先に、思っていたよりも長い余白があることに気付きます。
「これからも、この状態を続けるのだろうか」
この問いが、静かな違和感として浮かび上がってくる。
それが、ミドルエイジ・クライシスなのではないでしょうか。
夢は、いずれ終わる
夢は、人生を前に進めるための強いエンジンになります。
ただ、その夢は、挫折しても、達成しても、いずれ役目を終えます。
そのため、成功した人も、うまくいかなかった人も、同じような感覚を覚えることになります。
この点に、ミドルエイジ・クライシスの普遍性があるように感じます。
なぜ「次の夢」が見つからないのか
では、新しい夢を持てばいいのか?
ここで多くの人がつまずきます。
20代から長い時間をかけて育ててきた夢と、同じ重さの夢を、40代で見つけるのは簡単ではありません。
それにもかかわらず、「次も同じくらい大きな夢でなければ」と考えてしまう。
すると、小さな関心やささやかな楽しみが、どれも物足りなく見えてしまいます。
問題は、やる気がなくなったことではありません。
これまで使ってきた「夢というエンジン」が、身の丈に合わなくなってきただけなのだと思います。

自分だけの関心事を、大事にする
そこで、一つの考え方が浮かび上がってきます。
それは、「誰にも評価されない、小さくて個人的な関心を大事にする」という発想です。
共感される夢は分かりやすく、かっこいい✨
ですが、その分、評価や環境に左右されやすい。
一方で、誰にも共感されない欲望は、外部の評価に縛られません。
だからこそ、長く持ち続けることができる。
他人には理解されなくても、自分だけは大切にできるもの。
そうした欲望が、人生の後半では、意外な支えになるのかもしれません。
人生は「魔王を倒した後」から始まる
人生をゲームに例えるなら、前半は分かりやすい目標に向かって進む時間です。
レベルを上げ、装備を整え、目的を達成していく。
「魔王を倒す」という明確な目標やストーリーがあり、それに沿って、ただ前に進んでいけば済みました。
ですが、レベルが上がりきった後の世界は、どうしても単調になりやすい。
これ以上、強い装備は手に入らない…🛡
ラスボスも楽勝!
だから、一度リセットして、レベル1から遊び直すことが重要になってきます。
そして、その時の目標は、前より小さくて、地味で、ダサくて構わない。
「薬草を集める」でも「村人全員に話しかける」でもいいんです!
誰も評価はしてくれないかもしれないけど、その方が、長い後半戦を楽しめることもある。
そんな視点が、ここにはあります。
小括:空白が生まれる理由
ミドルエイジ・クライシスは、気力の低下や甘えではありません。
これまで頼ってきた基準や目標が、一度役目を終えたあとに生まれる「空白」と言えます。
では、この空白の時間を、どう受け止め、どう過ごしていけばよいのか。
次回は、この問いを、「セミリタイア」という視点から、もう少し具体的に考えてみたいと思います。

