「セミリタイアすれば、きっと幸せになれる――」
こんな風に思っていたけど、実際は欲との付き合い方に悩むことも多そう…💦
こういった悩みを持つ方も多いのではないでしょうか。
確かに、セミリタイアを考える上で、お金の話題は避けて通れません。
しかし、いざ目指し始めると、お金だけではどうにもならない問題もあるし、むしろ、そちらの方が手ごわいということに気付きます。
いくら資産があっても、贅沢には際限がありませんし、なにより、欲望のままに生きることが、幸福につながるとも思いません。
セミリタイアの目標は人それぞれですが、私の場合は、「自分で人生の主導権を握り、心穏やかに暮らすこと」
そうすると、お金以外にも、自分が望む生き方、好み、欲など、様々なことについて、向き合わざるを得ません。
FIは、ゴールではなく、セミリタイアを成立させるための、「前提条件の1つに過ぎない」のです。
そのような中、「少欲知足」
素晴らしい言葉ですね。
仏教の教えで、「多くを求めず、現状に満足することで、心穏やかに過ごすこと」を意味します。

セミリタイアした先輩の中には、達観した(ように見える)方も多く、「お金は単なる数字に過ぎない」とか「欲(特に、他人との比較で生じる自己顕示欲)は際限がない」といった話も聞きます。
しかし、俗世間を生きる上では、やはり色々な刺激にさらされますし、欲と無縁で過ごすことは不可能でしょう。
私自身も、セミリタイアが近付いてきました今なお、資産額や今後の過ごし方などで気持ちが揺れることが多いです。
上記の通り、セミリタイアしたからといって、すぐに穏やかな暮らしが始まるとは限りません。
少しずつ、気持ちを整理していく必要があると思っています。
そこで、今回は、私にとって、少欲知足とはどのようなものか、考えてみることにしました。
本記事は、シリーズ「セミリタイア心理学」の第2弾です。
「セミリタイアの心理学」に興味がある方は、こちらの記事もぜひ!

そもそも欲はダメなのか
改めて、「小欲知足」とは、次のようなことを指します。
「多くを求めず、現状に満足することで、心穏やかに過ごすこと」
つまり、欲を消すことを求めてはいません。
そして、裏読みすると、「基本は現状に満足し、多くは求めない。しかし、心穏やかに過ごせる程度であれば、多少は求めてOK」ということになるでしょうか。
「マズローの欲求階層説」を持ち出すまでもなく、生存に掛かる最低限の欲は、当然あるわけですが、おそらく、ここで想定しているのは、もう少し高次のもの。
以下で言うと、3以上の欲求だろうと思います。
- 生理的欲求:生存に不可欠な、食欲、睡眠欲、排泄欲など、生命維持に関する欲求
- 安全欲求:危険や不安から逃れ、安定した生活を送りたいという欲求
- 社会的欲求 (所属と愛の欲求):どこかに所属したい、誰かと繋がりたいという欲求
- 承認欲求:他者から認められたい、尊敬されたいという欲求
- 自己実現欲求:自分の能力を最大限に発揮し、理想の自分になりたいという欲求
うがった見方をすれば、こうやって「欲をなくした状態になりたい」というのも、一種の「欲」ですし、なにより、こうした欲がなければ、人類の発展や生存自体が成り立ちませんからね。
結局、生きている以上、、欲求は消せないし、なくすことを目指すのではなく、程よく付き合っていくことが大事なんでしょう。
また、藤井名人や大谷選手のように、ある目標の実現に専心することで、素晴らしい実績を残すこともあります。
どれに賭けるかも含め、個人の選択による部分が大きそう。
難しいのは、欲なのか、目標なのか、よくわからない点です。
「三月のライオン」の名キャラ、藤本雷堂棋竜も言ってますね。


目指してよい/持っていてよい欲と、そうではない欲を峻別する必要がありそうです。
その基準は、最終的には人それぞれでしょうけれど、私の場合、以下のようなことが目安になりそう。
- 他人に(それほど)迷惑を掛けない
- その実現に捕らわれて、自分自身を失わない=心穏やかでいられる、こだわり過ぎない
- 他人に左右され過ぎず、自分でコントロールできる類のこと
こうしたことであれば、実現できようとできまいと、持っていても問題はないし、追及していくことが、人生の満足度を上げることにつながりそうです。
こう整理してみると、今、私の頭に思い浮かぶ欲は、取るに足らないことばかりでしたww
自覚して優先順位を付けるべし
例えば、億り人になりたい、人から尊敬されたい…
こうした欲は、「死ぬときに、できるだけ後悔したくない」、「日々を心穏やかに過ごしたい」といった欲に比べると、だいぶ、どうでもいいです。
かといって、他人に大きく害悪をもたらすものではありません。
また、資産増に伴って「安心=精神的な安定」も増えるので、良い面もあります。
なので、自分が捕らわれないよう、適度に距離を取りつつ目指していく、ということで良さそうです。
また、のめり込み過ぎていないか、適切に距離が取れているか、定期的に見直すことも大切ですね。
ほかにも、「ストレスの大きい仕事をなくしたい」や「毎日、昼寝したい」は、「日々を穏やかに~」に通じるので、比較的、優先順位は高そうです🌟
結局、自分の中で、どの欲が重要か、優先順位を付けること。
これが大事です。
セミリタイアやFIREを考えている方は、「やりたいことリスト(バケツリスト)」を作っていると思います。
実際に書き出してみることは、単に、セミリタイア後のヒマつぶしを探すだけでなく、自分の欲を分類し、優先順位を付けることにも役立ちそうです。
まとめると、
セミリタイアしても、人は“欲”から逃れられない。
大事なのは、欲とどう付き合うか。
ということですね。
欲との上手な付き合い方 ー少欲知足になるために
では、欲と、どう付き合っていくと良いのか?考えてみます。
ある程度は、やり尽くさないと消えない?
「プレイボーイだった人の方が、浮気しにくい」というのはよく聞きますね。
やはり未練が残ったままだと、いつまでも、その思いに支配されやすそう。
そのような意味では、「欲はあるもの」と割り切って、サッサと充足させていった方が、かえって縛られずに済むのかもしれません。
私がセミリタイアに憧れるのも、結局、仕事ばかりして、自分を楽しませてこなかった(=欲を抑えてきた)反動が大きい気がします。
また、「やり残した」という未練が長引くと、期待値が上がり過ぎてしまうこともありそう。
期待値が上がると、執着心が増えて、より囚われやすくなります。
しかし、実際にやってみたら、「なぁんだ、こんなことか」と思い、アッサリと興味を失うかもしれません。
「長年、憧れてきたけど、達成してみたら、案外どうってことなかった」と、拍子抜けしてしまうパターンですね。
セミリタイアについても、今は、憧れの気持ちが強く、「達成したら、きっと人生好転する」などと期待してしまいますが、実際は、何も変わらないのかもしれません。
私は、大学受験で同じ経験をしていて、「志望校に受かったら、人生バラ色🌹」みたいなことを夢想していました(お恥ずかしい限りです💦)。
幸い合格したのですが、結局、大して好転せず、ツラいことはツラく、淡々とした日が続いただけでした。
劣等感を抱いたり、浪人したりせずに済んだことを考えると、実は、とても幸運だったはずですが、当時は、そのことに気付きもしませんでしたね。
喜びは、合格通知が届いたときがピークで、その後は逓減しましたし、大学生活が始まってからは、慣れない都会暮らしや同級生のレベルに圧倒されて、自信を持てるようなことはありませんでした。
結局、「何かに負う=期待し過ぎる」というのは難しく、一つ達成したからと言って、その後の人生が大きく変わることは、そう多くないのかもしれません。
達成できたら幸せですが、達成できなくても、別の道がありますし、達成できていたら、味わえなかった果実を得られる可能性だってあります🍎
欲があるから、前に進める。前に進むと、違う景色が見えてくる
また、前に進む(≒欲を実現させる)ことで、求める欲が変わったり、違う景色が見えてきたりすることもありますね。
私の場合、セミリタイアを知って、遅まきながら、ようやく「なぜ、命を削ってまで、働くことにこだわっていたのか?」と気付きました。
その結果、「仕事で認められたい」「出世したい」といった欲が急速にしぼんでいき、代わりに「穏やかに暮らしたい」といったことが、新たな希望になりました🎈
この思いも、いずれ変わるのかもしれませんが、少なくとも今は、それが最も優先順位の高い欲求です。
ここでは、はじめは「お金持ちになりたい」という漠然とした思いだったのが、セミリタイアという生き方を知り、「穏やかな人生を送りたい」という形に変化しています。
最初は、欲望丸出しの俗っぽい欲求でしたが、そのおかげで資産が貯まり、実現の可能性が出てきたため、「セミリタイアしたい」という欲につながりました。
そして、セミリタイアについて考えていくうちに、「結局、お金だけじゃダメだ」ということ、そして、自分の求めることの根底には、「日々に感謝して、穏やかに暮らしたい」という思いがあることに気付きました。
(別に、後者の方が、高尚な欲だとは考えていませんが、物質的な豊かさよりも、精神的な豊かさな方が大切になってきたのは確かですし、精神的な豊かさの方が、「自分次第で何とかなる」という意味で、他人に左右されにくいだろうと思っています。)
こう見てみると、最初は、そんなに高尚な欲でなくていいし、むしろ、俗っぽいものの方が良いのかもしれませんね。
あまりに理念的過ぎると、すぐに冷めてしまいそうなので…💦
また、大谷選手のように、世間が注目するような立派な目標でなくとも、自分自身が大切にできることであれば、どれだけ小さなことであっても、十分な気がします。
要は、その欲が、自分にとって、「本当に重要と思えるか?」という納得感に掛かっているのでしょう。
その過程で、一生を賭けてでも実現したい欲が見付かったら、それはとても幸せなことですね。
結局、やってみないと分からない。
ここまで整理すると、
- 欲は、消せないし、消さなくてもいい。上手に付き合っていくべきもの
- やっていないことは、欲として残り、いずれ「やらなかった」後悔になる
だから、さっさとやった方がよい - 最初は、俗っぽい欲でOK(人に、それほど迷惑を掛けないものであれば)
自分の場合、お金持ち➡セミリタイア➡穏やかな暮らしと変化してきた - やってみたら、案外、大したことがないかもしれない=執着が消える
やってみて、とても重要だと分かった=ラッキー
このように考えると、人様に迷惑を掛けない類の欲は、ある程度は許容し、できるものから、さっさと実現してみるのが良さそうです。
煩悩は、無理に抑えようとすれば、かえって強くなりますし、心が弱った時に、よくない形で暴発してしまうこともあります。

そして、少欲知足は、欲を捨てることではなく、コントロールすることを目指すのでした。
コントロールしたいのなら、自分の欲から目を背けるのではなく、むしろ、ガッツリ直視して、その本質を見定める必要がある気がします。
とすれば、「やってみたい」「ほしい」と感じたら、それが「どのような類のもの」で「自分が、どれくらい欲しているのか?」を真剣に考え、問題なさそうであれば、とりあえずやってみるというのが良い気がします。
美味しんぼのこちらのエピソード、とても共感できるんですよね。
(まあ、お坊さんに、こんな話を持ち出すのは、詭弁というか、土俵違いな気もしますが^_^;)

山岡さんが言うように、欲から逃げていては、コントロールするのは難しいでしょう。
別に、本物の悟りを目指してはいませんがww
退屈は、実は理想的
「セミリタイア・FIREしたら、退屈になってしまった」という話をよく聞きます。
セミリタイアの典型的な「後悔パターン」の1つですね。
ですが、欲という観点から見たら、退屈は、意外と悪くない気がします。
なぜなら、退屈というのは、実は、「欲が少ない状態」だからですね。
ただ、「退屈」だと、どうしても時間を持て余しているようなネガティブな印象を伴います。
満たされている感覚がないため、何か足りない=退屈という感じを持つのでしょう。
そこは、「現状に対する満足感や感謝の気持ちがあるか?」という点に掛かっているのかもしれません。
退屈だけど、日々が穏やかで幸せ…
思い悩むことが少ないのは、ありがたい
こんな風に思えれば、退屈を歓迎できますし、むしろ、「そこを目指して、セミリタイアしたんじゃなかったっけ?」と、原点回帰できるかもしれません。
これは、「知足」の部分と言えるでしょう。
欲は、少ない方が生きやすい
色々とやりたいことが多く、セミリタイア後も、「ヒマなんてない!全然、時間が足りん!!」という人もおられます。
私は、それほどやりたいことが多くないので、とても羨ましいなと感じます。
また、ずっとギラギラして、何かを追い掛け続けているのは、生き方としてカッコいい感じがしますね。
ですが、どちらが良くて、どちらが劣っているといったことではないとも感じます。
結局、その人が望むこと次第だし、人それぞれです。
ただ、人生には時間的な制約があるため、「未練」という観点から考えると、気になることは、できるうちにやった方が良さそう。
やりたいことが沢山ある人は、「自分が何をやりたいのか」、つまり自分の欲求に敏感な人なのかもしれません。
その時々で、やりたいことがすぐに見つかる。
「今日は、あれをやろう!」とすぐに決められる。
こうして、自分の欲に対する感度を上げていくことも、最終的な「少欲」を目指す上で重要かもしれません。
本来の「少欲知足」とは、ちょっと違うかもしれないが…
仏教的には、「知足」を極めた結果、「少欲」に辿り着く(もしくは、同時進行で高めていく)ことを目指しているのだと思います。
確かに、「欲望には際限がない」と言われるように、満たしても満たしても、次々に出てしまって、尽きることはないのかも。
また、もっと強い欲望に駆られるというパターンもあるかもしれません。
ですが、個人的には、「完璧な少欲知足を目指す」というよりも、それに近付くよう努力することで、余計な欲に囚われたり、必要以上に求めたりする状態から遠ざかることができれば、それで十分かな、と。
凡人は、そこそこ欲に流されつつ、人生全体で見て、大きくハズレなければOK
ゆるゆるな考えですが、そもそも、目標が難しすぎます…💦
身体が動くうちに、自分の欲を少しずつ満たしていけば、晩年は、「少欲」に近い状態になり、穏やかに過ごせる気がします🍵
まとめ:「少欲」と「知足」のバランス
つらつら書きながら、少しずつ、考えが整理されてきました。
最後にまとめです。
- 少欲の状態だと、穏やかにいられそう。できれば、晩年には、そうした状態に至りたい。
- そのためには、きちんと欲と向き合って、満たしていくことが必要。
そうしないと、本当の意味で、欲は減らないし、むしろ未練が残って、晩年に囚われそう。 - 「少欲」と「退屈」は、紙一重の状態
- 「少欲」を肯定的に受け止めるためにも、「知足」が必要
皆さん、お分かりだと思いますが、セミリタイアしたら、自動的に悟りが開けるかというと、そんなことはありません(私の勘違いは、前半でお話した通りです💦あー恥ずかし(;’∀’))
今は達観しているように見える先輩セミリタイアラーさんも、セミリタイア・FIREの過程を通じて、少しずつ自分と向き合いながら考えを整理していったことと思います。
また、資産が増え、時間にも余裕ができて、やりたいことを尽くした結果、そうした状態に至るということも考えられます。
セミリタイアすると、資産・時間の管理など、新たな課題も出てきますし、社会的な制約が緩くなるので、何でも自由にできる反面、何でも自己責任になります。
そのため、慣れるまでは、じっと身を潜めて、隠遁生活を送ることを考えていました。
しかし、少欲知足を目指すのであれば、自分の欲求から目を背けるのではなく、むしろ、きちんと向き合って、適度に解消していく必要があると分かりました。
「ガマンする」という消極的な形ではなく、より豊かに生きるため、「ある程度の欲求は、積極的に満たしていく」というスタイル
それこそが、私が目指す「少欲知足」なのかな、と思いました。
理想を言えば、「道端に咲いている花がきれいだなぁ🌸」と感じられる心の余裕、衣食住に不自由がないことや、人として生きていることへの感謝で満たされた状態になれればよいですが、それはあくまで理想だし、目標なのかなと思っています。
だって、美味しいもの食べたいし、良い温泉に入ったり、日頃は見られないような綺麗な景色が見たいですもん!
まあ、日々、少欲知足を目指して修行しているお坊さんでさえ、難しいのですから、俗人の私が、そう簡単にたどり着けるはずもありません💦
ですが、歩みは遅くとも、「目指すべき道筋がある」ということは、日々の安心感につながります。
特に、方向性を見失いやすいセミリタイア後においては、そうした、自分の望む方向を知っておくこと(もしくは、セミリタイア前に整理しておくこと)は、とても有意義だと思います。
まずは、“やりたいことリスト”の確認から始めましょう!


